長男、長女の誕生日、出産時の思い出

きょうは、長男、長女の誕生日です。満33歳になりました。
昭和62年12月1日、我が家の長男、長女として生まれました。


西暦でいうと1987年になるんですかね、テレサテンの「時の流れに身をまかせ」とか少年隊の「君だけに」などの曲が流行った年だったと思います♪


その日は、手術(帝王切開)の予定時刻よりもかなり早く破水をしてしまい、緊急の手術となりました。手術室を見渡すと、執刀医以外に10人ぐらいの医師たちがずらりと並んでいたのを覚えています。


最初、麻酔を打たれたけど全然効かず、2本目も打たれました。しかし全然効きませんでした(^^;)


意識がある中で始まった手術でしたが、酸素マスクをつけていたので、「助けて!やめて!」とどんなに叫ぼうが、医師たちには聞こえませんでした。


医師の「メス」という声に、「わあ!!」と思いましたが、既におそかれし、この世のものとはいえない痛みが走りました(;゚Д゚) 頭をよぎったことは、私が死んでしまったら産まれてきた子たちは誰が育てるんだということでした。


激痛に耐えながら、医師の「女の子だぞ」という声が聞こえました。その数分後に「次は男の子だぞ」という声が聞こえてきました。よかったと思ったのと、これで自分は死んでしまうのかという悔しい思いとが交差していました。


随分後で分かったことですが、このとき出血が多く、輸血をしたり止血剤を使われたようです。


手術室を出るころには意識が朦朧としてきて、看護師さんの「産まれたよ、よかったね」という声がだんだんと遠のいていきました。


午前9時から始まった手術でしたが、目がさめたのは午後7時ごろで、目をあけると父と母がいました。主人は一足先に帰ったところでした。
私の意識が回復して安心したのか、父も母も帰ってしまい、ちょっと心細くなりました。


その後、夜遅くに40度を超える高熱が出ました。布団を2枚ぐらい重ねてもらったり、解熱剤を点滴してもらったりしましたが、なかなか下がらず、一晩中苦しみました。


次の日の朝、ようやく意識がしっかりとしてきました。窓の外は辺り一面が雪で真っ白でした。


その後、退院するまでの間に10キロ近く体重が減りました。お腹に入っていたものが全部出てすっきりした感じでした。


出産前後の入院期間も入れて、私にとっては命がけの出産と言ってもいいぐらい大変なものでした。


息子や娘に、あなたたちの出産は大変だったということを言ったりするのは毛頭ないし、理解しろと言うつもりもありません。
形は違えど、出産は女性にとって一大事のことだと思います。


もう子どものころのように家族で祝って喜ぶということはありませんが、誕生を祝うという気持ちは忘れないでおこうと思っています。二人とも誕生日おめでとう🎊


今年は息子がいないので3人でケーキを食べました。実を言うと、今日12月1日は行きつけのケーキ屋さんがお休みだったので、1日早い、昨日にケーキを買ってきて食べました。


娘はイチゴのタルト、私と主人はイチゴのショートケーキを食べました🍰🍓


美味しいケーキでした。




今朝の景色、きょうはどんよりとした天気でした☁




きょうの朝食とお弁当


きょうは長男、長女の出産の話を長々としてしまいました。読んでいただけたら幸いに思います(^^)