終戦の日

私の父方の祖父は、日中戦争、第二次大戦と、長らく戦場に行き、その後、シベリアに抑留されたので、帰還したのは終戦から何年も後のことでした。


私が子どもの頃、祖父から聞いた話では、戦場では食べるものがなく、カエル、ヘビ、トカゲなど、動く物は何でも食べたそうです。


戦場で盲腸に罹り、野戦病院で手術を受けたが、麻酔も薬もなく、意識ある中での手術は壮絶なものだったと聞き、そして、その傷跡を見せてもらったことがあります。


その後、シベリアに抑留。酷寒のシベリアでの重労働は想像を絶するものだったと聞きました。屋外でオシッコをしようものならすぐにカチコチに凍ってしまったとも。もちろんここでも食べるものは少なかったと聞きました。


以上の内容のことを子どもの頃に聞きましたが、昨日、実家で母や叔母さんたちと祖父の戦争体験のことが話題に上がりましたが、やはり、私が聞いたことと同じ内容でした。


叔母さんが2歳ぐらいのときに祖父は戦地に赴き、シベリア抑留を経て、帰還したときは叔母さんは既に小学3年生だったと聞きました。


日中戦争、第二次大戦と、多くの命が犠牲になられました。戦争をしてよいことは何一つないと、戦争体験者だった祖父も、戦争を知っている母、叔母さんも口をそろえて言っています。


その後、私が知っている祖父は一生懸命働く姿しか思い浮かびませんが、戦争から無事に帰ってこれて、働くことに生きがいを感じていたのかもしれません。



先日、麻生太郎さんが台湾へ行って、「戦う覚悟」という戦争を煽るような発言がありました。このように戦争を煽るような人たちは常に安全な場所にいて、犠牲になるのは若者をはじめ国民なのです。



戦争を知っている母の世代の人たちも80代後半に近づいています。こういった世代が少なくなる中、次代へ伝えていくのは、私たち孫の世代になります。


孫からひ孫へ、そしてその次の世代へ、戦争でよいことは何一つない、ということを伝えていかねばならないと思いました。




お昼に、ナスとオクラのパスタを娘に作ってもらい、食べました。オリーブオイルでナスを炒めてあるので、ほどよく油を含んで美味しかったです。


昨日と今日の朝食


今は食べるものに不自由のない時代です。何でもあります。戦時中食べるものがなくてひもじい思いをした人たちがおられたことを忘れずに、常に感謝して食べたいと思っています。








寝起きのタマ🐱