10月に思いを馳せる

10月25日は実父の命日です。命日が近づいたらまたお墓参はするだろうけど、昨日、実家のお墓参りのときに父の生前のことをいろいろ思い起こしてみました。


以前にも同じようなことをブログに書いたかもしれないが、父は生前、両親(私の祖父と祖母)ととても仲が悪くて、特に夕食時になると何が飛んでくるか分からないような環境だった。私ももちろん、周囲の者もとても迷惑を被っていました。


その後、祖母が病気で寝たきりになってからは、親子の争い事は少し沈静化はしてきたが、今度は祖母の長きにわたる介護が始まった。


その介護も10年近くに及び、介護するのは主に母、そして私や叔母(祖母の長女さん)も介護の手伝いをしなくてはならず、私の一番楽しいはずであった、小学4年から中学、高校卒業時までは、友と遊んだり勉強云々よりも、家族の争い事や、介護の手伝い・家の手伝いに明け暮れた青春時代と言ってもいいかもしれない。



そんなことを回想しながらお墓の前で手を合わせていたら、あれだけ仲が悪かった親子(父と祖父、祖母)でも、今はあの世で、口喧嘩はしても仲良くやっているのではないかと、優しい風が吹いてきて、ふっとそう思いました。



最近読んだ「花散る里の病棟」(帚木蓬生著)の中の一節に、「わたしの施設は終の棲家なのだ。この世の最後に生活する場所が悲惨であってはいいはずはない。世の辛辣をなめてきたお年寄りには、生き抜いた幸せをここで味わって欲しい。」とあり、この分部が強く心に残っている。映画「PLAN75」を観た後の読書だったから余計にそう感じたのかもしれない。。。



最近では「高齢者は集団自決しろ」とか恐ろしいことを言う某大学助教授で経済学者がいる。どこからこんな恐ろしい発想が出てくるのだろうか。「花る里。。。」の本の中にあった医者の言葉とは明らかに対照的である。人の命を軽視したり、苦労を知らないからこういった発言が出てくるのだろう、でも、それは間違っている。



祖母の介護は本当に大変だったが、最後まで家で看取ってあげれたことは、看取られるほうも看取るほうも幸せだったのかもしれないと思った。祖母、曾祖母、祖父は自宅で、父は病院で、全て母が看取ってあげたのだが、私たち家族も母を支えて助けてあげることができてよかった。自宅での介護は、やはり周囲の支えなくしてはなかなか成り立たないと思う。


いずれにしても、人の命を数字や生産性で切り捨てたり、高齢者に自決を勧めるようなことがあってはならないし、そういう社会にしてはならないと思う。




10月3日は私たち夫婦の結婚記念日でした。毎年、朝起きると主人は、今日は記念日、記念日とうるさいぐらいだったが、今年は何かほかのことで頭がいっぱいだったのか、忘れていたのか、記念日という言葉は一言も出てこなかった。私もすっかり忘れていたので、それ幸いに、毎年食べていたケーキを買うこともなく、また、何もないほうがスッキリとしていて良かったと思っています😆


ともあれ、38年間、二人とも元気でいられることにまずは感謝したいと思っています。




長くてまとまりのないブログになってしまいましたが、夕方のウオーキング途中で見かけた花と、自宅の花、タマの写真を載せて終わりたいと思います。











寒くなってコタツの中で膨れるタマ🐱



今日は雨が降って、また一段と寒くなってきました。風邪ひかないように気を付けたいですね。