忘れられないこと


前回のブログで、小学校の同級生が私に向かって「低能児」と言ったことについて書きましたが、一体何を根拠にこのような言葉が出てくるのかと、当時小学5、6年生ながらにも冷静に考えていました。
これは一言で言って、差別発言だと思うのです。


私の実家はお店をしていて、朝から晩まで大人たちは忙しく働いていました。育った家の環境も、祖父と父との喧嘩が絶えず、良好とはいえませんでした。家の中も常にうるさいので、宿題もそこそこに、近所の友達と毎日外で遊んでいました。


その近所の子供たちの中に、私に「低能児」と言った子がいました。その子の両親は2人とも公務員で、税務署勤務の母親と役所勤務の父親でした。どちらの親もあまりよいイメージではなく、お店をしている我が家を軽蔑するような目でいつも見ていました。もちろんその両親のことは私は好きではありませんでした。


もちろん、公務員の皆さんが全員こういう方たちではなく、良い人もたくさんいることは知っています。
たまたまこの子の両親は、公務員という自分たちの職を鼻にかけ、決して裕福ではない我が家と比較してものを見ていたからです。


そのような差別的な目で人を見る両親のもとで育った子なので、自然と私に対しても「低能児」という言葉が出てきたのだと思います。きっとその子の両親も私のことを「低能児」と言っていたのかもしれません。
自分より下の人間を置くことによって、自分たちが優越感に浸るというやつです。明らかに差別です。
でもそれに対して決して私は屈しませんでした。そのうちに罰でも当たるのだろうというぐらいに気楽に構えていました。


「低能児」という言葉が小学校の中でも私に向かってしょっちゅうあびせられるので、担任の先生も切れたのだと思います。
先生の半端ではない怒り方で、あれだけ横柄な態度が一変してしまいました。それからは私を見ても何も言わなくなり、学校以外の場所でも何も言わなくなり、小さくなっていました。少しは反省したのでしょう。


差別は根も葉もないところで人を不愉快にするし、さらにエスカレートすることもあります。
私の場合、担任の先生の毅然とした態度がこれを助けてくれました。
昔はこのように、学校の先生もいけないことはいけない、よいことはきちんとほめる。また、出来がよい子、悪い子で差別するような絶対にありませんでした。だからいつもすっきりとした楽しい気持ちで学校に行くことができたのだと思います。


今は大人社会でも差別発言があちこちで見受けられます。特に国会議員の中で問題発言する人が目につきます。異常事態です。国を代表するような人たちがこんなでは国はよい方向に行きません。同じ党の中で誰か止める人はいないのでしょうか。
私の場合は担任の先生にとめてもらいましたが、今回、問題のある議員さんたちをとめるのは私たち国民ではないのでしょうか。




朝食とお弁当