昭和の時代の介護、平成の介護、そして令和へ

前回、10月7日のブログの記事に、祖母の介護のことを書きました。
その祖母が亡くなる1年3か月ほど前に、曾祖母が自宅にて亡くなりました。88歳でした。


私が高校2年の夏、曾祖母が、ある日突然、一日に何度も歯磨きと洗顔をし、家族の者からも、さっき洗ったでしょう?というようなことが続きました。(◎_◎;)


それからしばらくして、ご飯をまだ食べていないと言い出し、一日に何度も食べるようになりました。これが今でいう認知症の始まりだったと思います。


一人で歩いたりトイレには行っていたのですが、そのうちおもらしをするようになり布のおしめ、オムツを履いていましたが、ウンチを手で取りだして部屋のあちこちに捨てて歩いたのがちょっと大変でした。


そういうことがしばらく続きましたが、徐々に歩けなくなり寝たきりになりました。意識はあったので、亡くなる直前まで何か食べていたような気がします。


曾祖母が認知症になり亡くなるまでは約3か月と短い期間でしたが、最後は苦しまずに優しい顏で逝きました。昭和52年の11月のことでした。


それから平成になり、世の中も少しずつ変わっていきました。


平成10年ごろの夏、働き者だった祖父が1週間ほど寝込み、老衰で亡くなりました。祖父が亡くなる2日前にお見舞いに行ったときは、とても安らかな顏で笑っていました。


祖母の10年にわたる長い介護に比べると、曾祖母、祖父の短い介護は楽なほうだと思いました。


その後、時が過ぎ、実父が倒れ、7年間の入院生活の末、亡くなったのが今から7年ほど前になります。
父はずっと病院でお世話になっていましたが、祖母や曾祖母、祖父の介護のときはまだ若かった母でしたが、もう70歳を過ぎ、体力も限界に近かったと思います。それでも毎日欠かさず父を見舞ってあげていました。


このように4人を看取ってきた母ですが、それぞれの介護を手抜きなく行ってきた母はきっと後悔はないだろうと思っているところです。


私がもし年をとって誰かに看てもらわないといけなくなったとき、果たして家族はどうするのだろうかと思うときがあります。


今は昔のように大家族ではないので、おそらく家で介護をしてもらうこともないのだろうと思います。私は病院かどこかへ入れられて、誰も会いに来てくれないんじゃないのかな(^^;) とかいろいろ考えます。


うちの子どもたちがそうだからではないのですが、今の若者はドライというか、結構薄情なところがあるので、人の苦しみ、悲しみにあまり敏感でないような気がします。


ものがありふれて便利な世の中にはなったけど、人間の心の中の熱いものがなくなったような気がします。自分のことだけで精いっぱいなのかもしれません。


親を看てくれとか、介護をしてくれとか言うほうが間違いなのかもしれないけど、私の母の献身的な介護の様子から、人間愛というか家族愛というか、人間に対する温かみや愛情というものを見てきたので、今の時代を見てると何かとても悲しくなるときがあります。
もののない時代のほうがよかったような気がします。




台風の影響で風はすごく強かったです。金曜日の午後からようやく風がおさまりました。
プランターの花は大丈夫でした🌺



今朝のアサガオ、きょうもたくさん咲いていました。





金曜日の朝食とお弁当